富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社である。式内社(名神大社)、駿河国一宮で、旧社格は官幣大社。日本国内に約1300社ある浅間神社の総本宮、富士信仰の中心地である。大宮浅間とも呼ばれる。富士山を神体山としている。
市街地に本宮、富士山頂上に奥宮(富士宮市富士山頂上官有無番地)がある。また、富士山の8合目より上の部分は、登山道、富士山測候所を除き、浅間大社の境内である。ただし、静岡県、山梨県の県境が未確定のため、土地登記はしていない。
富士山八合目以上の土地約400万平方メートルのうち、登山道などを除く約385万平方メートルが当神社の私有地となっており、また本宮で約17000平方メートルの私有地がある
社伝によると、第7代孝霊天皇の時代に富士山が噴火し国中が荒れ果てた。その後、11代垂仁天皇が富士山の神霊「浅間大神」を鎮めるために、垂仁天皇3年(紀元前27年)頃に富士山麓にて祀ったのが当社の始まりと伝える。
当初は特定の場所で祀られていたのではなく、その時々に場所を定めて祭祀が行われていたが、景行天皇の時代に現在地の北東6kmの場所の山宮に磐境が設けられた。伝承では、日本武尊が駿河国で賊徒の計にかかり野火の難に遭ったときに、浅間大神に祈念して難を逃れたので、賊徒を平定した後に山宮に浅間大神を祀ったという。
祭神 [編集]
現在は浅間大神(あさまのおおかみ)と木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とし、夫神の天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)、父神の大山津見命(おおやまつみのみこと)を配祀する。
元々の祭神は富士山の神霊「浅間大神」であるが、いつの時代からか、神話に登場する木花之佐久夜毘売命と同一視されるようになり江戸時代に定着した。現在でも一般的な認識では浅間大神と木花之佐久夜毘売命は明確に区別されてはおらずほぼ習合した状態である。
歴史 [編集]
古代 [編集]
806年(大同元年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在地の大宮の地に社殿を造営し、浅間大神を山宮より遷座した。以降、朝廷の崇敬を受け、延喜式神名帳では名神大社に列し、また、駿河国一宮として崇敬された。駿河国国府の近くに当社より勧請を受けて「浅間神社」(現 静岡浅間神社の一社)が創建され、それを「新宮」と呼ぶ。
中世 [編集]
源頼朝が行った富士の巻狩りの際、武将を率いて富士山本宮浅間大社に詣き、流鏑馬を行った。このことから富士山本宮浅間大社では毎年流鏑馬祭りが行われている。
武将からも崇敬を受け、源頼朝・豊臣秀吉が社領を寄進、北条義時・足利尊氏・足利持氏が社殿を造営、武田信玄・勝頼親子が社殿の修造を行っている。徳川家康は867石の朱印地を安堵したほか、関ヶ原の戦いの戦勝を記念して現在の社殿を造営し、1609年には、富士山頂の土地を寄進している。その後も歴代の将軍が祈祷料・修理料の寄進を行った。
室町時代に始まった富士信仰は江戸時代に盛んとなり、多くの人が富士山に登るようになったが、当社はその表口として賑った。
1779年には寺社奉公により、8合目以上が当神社へ寄進されている。
近世 [編集]
1871年(明治4年)5月14日に近代社格制度のもと、浅間神社として国幣中社に列し、1896年(明治29年)7月8日に官幣大社に昇格した。第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社に加列され、「富士山本宮浅間大社」に改称した。
1934年(昭和9年)6月15日に王子製紙によって、富士宮駅前に大鳥居が奉献された。その後は富士宮の象徴的存在となり多くの市民に親しまれた。
徳川家康から寄進された富士山八合目以上の土地の所有権について国との間で裁判となったが、1974年(昭和49年)の最高裁判決により、古来より富士山が当社の神体とされてきたこと、富士信仰の中心地であることから、この土地が当社の境内地であることが確認された。
1982年(昭和57年)3月11日に全国の浅間神社の総本宮にふさわしい名称とするため、それまでの富士山本宮浅間神社から現行の富士山本宮大社へと改名する。同年3月26日に、当時の富士宮市政に大きな影響力のあった創価学会からの要望により[要出典]、岳南地域都市計画の名目で富士宮駅前の浅間大社の大鳥居が撤去された。
2006年(平成18年)10月29日に御鎮座1200年祭が催された。開催にあわせ、日頃から大鳥居の復活を望む強い要望があったことから、場所を富士宮駅前から500mほど西の浅間大社から湧き出る「神田川」沿いに移動し高さ16メートルの大鳥居を再建した。また、鎮座1200年記念歌「思えば千と二百年」が発売された。
境内 [編集]
境内は富士宮市街地に位置する本宮境内と、富士山頂上に位置する奥宮境内の2つに分けられている。富士登山の際使用される金剛棒を売っており、また有料であるが、焼印も行っている。本宮の境内には富士山の湧水が湧き出しており、飲むことができる(無料)。本宮と奥宮では御朱印も異なる。
本宮境内 [編集]
社殿など
社殿の上に本殿がある珍しい複合社殿形式である。
社殿
朱塗りの浅間造である。1604年(慶長9年)徳川家康によって造営された。その後、寛永や安政の大地震などで崩壊した建物もあり、当時の建物で現存するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみである。
本殿(国の重要文化財)
浅間造と呼ばれる二重の楼閣構造となっており、拝殿の後方上部に本殿がある。様式は流造りであり屋根は桧皮葺である。
幣殿・拝殿
拝殿正面が入母屋造となっており、本殿と同じく桧皮葺である。また、外側と内側ともに丹塗となっている。
楼門
その他
湧玉池
境内に湧出する富士山からの湧水によってできている。何層にも重なった溶岩の間から湧出しており、特別天然記念物に指定されている。水源の岩上には朱塗りの水屋神社が鎮座している。富士山登山者は、この池の水を霊水として登山前に禊ぎをする風習があり、6月30日の富士山開山の時には、禊神事が行われる。この池の流れ出しが神田川である。
鉾立石
楼門前の石段に置かれている。明治まで行われていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉った所である。
鏡池
一名眼鏡池とも呼ばれ、楼門前にある。
桜の馬場
楼門前に東西へ伸びる神事流鏑馬式が執り行われる馬場。5月5日の流鏑馬祭で使われる。両脇にはサクラが植えられており、春には花見客で賑わう。
狛犬-左右に一体ずつ存在。
火山弾-富士山の噴火の際の火山弾が展示されている。
流鏑馬像
末社
水屋神社-御霊水を祀る。
稲荷神社-湧玉池のほとりに位置する。
天神社
厳島神社-湧玉池の中心に存在し、古来より祀られている神社。入口に小さな鳥居と、狛犬がある。
奥宮境内
富士山頂上奥宮は富士宮口登山道頂上に鎮座する。7月11日に開山祭を行い、8月末まで神職が常駐して祭事やお守り等の授与を行う。奥宮の例大祭は8月15日に行われる。9月の閉山祭以後は、翌年の開山まで無人となる。
霊場・行場 [編集]
八神峰
剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就岳・朝日岳・浅間岳・駒ヶ岳・三島岳の総称であり、それぞれ大内院周辺に点在する。古来、富士山登頂の際にこれらを巡回する「お鉢廻り」が行われていたとされている。
東北奥宮(久須志神社)
吉田・須走登山道頂上に鎮座する。富士山頂上奥宮の末社であり、以前は薬師神社と呼ばれていた。そのため祭神は大名牟遅命、少彦名命である。
金明水・銀明水
頂上に湧く湧水を霊水として金明水、銀明水と呼ぶ。それぞれ水源が違い、金明水は久須志神社の西北方にある白山岳に麓に、銀明水は御殿場口登下山道の起点にある。
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